山吹地蔵

山吹地蔵

 JR大津駅を出て左に折れるとすぐの処に、そっと隠れるようにしてお地蔵さんがあります。「山吹地蔵」と言います。

 お地蔵さんは子どもの記憶を祀っていることがおおいのですが、これは違います。山吹御前を記念して小さな祠が作られました。

 山吹御前と言っても知らない人の方がおおいかもしれません。巴御前とともに、木曽義仲の愛妾でした。

 その義仲が鎌倉の軍勢と戦います。形勢は不利。義仲の安否を気づかった山吹は病をおして逢坂山を越えて大津までやってきます。しかし、すでに義仲は敵刃に討たれ、山吹もまた秋岸寺(現在、JR大津駅がある辺りにあった)の境内で殺されました。

 この山吹のことを偲んで、後に有志たちが秋岸寺に地蔵尊を刻んだということです。これが「山吹地蔵」の由来です(と知った風なことを書いていますが、「山吹地蔵」の前にある掲示板にそう書いていました(^^))。

 なかなか悲しい歴史がJR大津駅の周辺にはあるのですね。

 こんな句があります。

 「木曽どのを したひ山吹 ちりにけ里」

盛りだくさん 大津の秋

秋の音楽祭

 大津の秋はとっても盛りだくさんです。

 9月18日から11月23日まで「びわ湖大津 秋の音楽祭」が催されます。「音楽祭」と銘打っていますが、けっして音楽だけのお祭りではありません。「食」もあります、「灯り」もあります。つまり「耳(音楽)」も「舌と鼻(食)」も「目(灯り)」も人間の五感をみんな楽しませよう、というお祭りですね。

 もちろん、大津ジャズフェスティバルも、この「秋の音楽祭運営協議会」に参加して、お祭りの一部をになっているとういわけです。

 個人的な趣味になりますが、ちょっと気になるイベントを紹介しましょう。

 まずは「灯り」から。

 10月2日から12月31日まで「大津まちなかイルミネーション」がおこなわれます。JR大津駅から大津市民会館、なぎさ公園、旧大津公会堂、中央大通りなどがイルミネーションで装飾されます。ちょっと異空間の大津が楽しめる期間です。

 ついで「食」で気になっているのは、10月16日の「大津まちなか食ウォーク」です。これは寺町商店街、ナカマチ商店街、浜大津商店街などをお箸とマップを手にして食べ歩きができるというイベントです。参加費は500円。う~ん、じゅぶんに元が取れそう(^^)。

 そして「音」はもちろん、10月16日と17日の「大津ジャズフェスティバル」なのですが、上の情報と組み合わせて「大津ジャズフェスティバル」を考えるとこうなりますね。

 大津ジャズフェス期間中は大津の街中がイルミネーションであふれます。さらに、16日は商店街で「まちなか食ウォーク」があって、お腹がよろこびます。「食」も「灯り」も「音楽」もみんな大津ジャズフェスティバル期間中の大津にはあるというわけです(自慢!)

 皆さん、来てね!(^^)

 なお、「びわ湖大津 秋の音楽祭」について、詳しくは大津市のHPをご覧ください。

http://www.city.otsu.shiga.jp/www/contents/1243383315583/index.html

好評 お礼

 昨日は、大津ジャズフェスティバルのふたつのプレイベントがおこなわれました。

 ひとつは、滋賀県立図書館での「Jazzのゆうべ」、もうひとつが「Jazz電車」でした。どちらもおおくの方々にご参加いただきました。

Jazzのゆうべ

 写真は「Jazzのゆうべ」の様子です。

 お客様は140名で超満員、準備したプログラムが足りず、嬉しい悲鳴でした。

 この図書館ロビーではこれまでクラシックの演奏ばかりだったようですが、今回、二本のサキソフォンとピアノのジャズということでとても新鮮な印象だった、とのご意見をお聞きしました。

 やっぱり図書館という文化とジャズという文化はうまく合うのだ、と確信いたしました(なんとなく自己満足的感想かも)

 もうひとつのプレイベントも盛況でした。

Jazz電車

 「Jazz電車」も定員一杯のお客様を乗せて、無事出発いたしました。写真は「Jazz電車」の中の様子です。

 じつは、予約の数がすくなく心配だったのですが、発車間近になって直接申込まれるお客様がたくさんいて、盛況となりました。電車のなかでは、ジャズとお酒を楽しまれたことでしょう。

 ふたつのプレイベントとも好評のうちに終了いたしました。ご参加された皆さまにお礼を申し上げるとともに、16日、17日のフェスティバル当日もお楽しみいただきますますよう、お誘いいたします。きっと楽しい時間を過ごせるはずですから(^^)。

湖水渡り

 明智左馬之助という人がいました(知らなかった(^^;;)。

 明智光秀(知っています)の弟さんだそうです。

 天正10年(1582年)、光秀は織田信長を本能寺に攻めます(知っています)。

 が、すぐに山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れます(知っています)。

左馬之助 湖水渡りのところ

 で、兄光秀の死を知った左馬之助は、その時安土城を攻めていたのですが、すぐさま阪本城に向かいます。ところがここに大きな湖が横たわります。そこで、この左馬之助さん、「大津、雄琴などをまわっていたのでは時間がかかるわ、ええい、ここはびわ湖を渡るぞ!」と意を決して、愛馬にまたがり阪本城をめざすのです(知らなかった(^^;; でも、馬が阪本までず~うっと泳いだということはないでしょうね? 途中で船に乗ったのだろうな・・・・)。

 この左馬之助がびわ湖に踏み出した場所が、じつは打出浜なのです。前にお知らせした「渚のテラス」のちょっと手前、今は「琵琶湖文化会館」の建っている辺りが「明智左馬之助 びわ湖渡りのところ」として記憶されている場所です。

 そこには小さな碑が建っています。柳の木に隠れるようにしてありますので、ちょっと見つけにくいかもしれませんが、ここはあまり知られることのない歴史の名所でもあります。