湖水渡り

 明智左馬之助という人がいました(知らなかった(^^;;)。

 明智光秀(知っています)の弟さんだそうです。

 天正10年(1582年)、光秀は織田信長を本能寺に攻めます(知っています)。

 が、すぐに山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れます(知っています)。

左馬之助 湖水渡りのところ

 で、兄光秀の死を知った左馬之助は、その時安土城を攻めていたのですが、すぐさま阪本城に向かいます。ところがここに大きな湖が横たわります。そこで、この左馬之助さん、「大津、雄琴などをまわっていたのでは時間がかかるわ、ええい、ここはびわ湖を渡るぞ!」と意を決して、愛馬にまたがり阪本城をめざすのです(知らなかった(^^;; でも、馬が阪本までず~うっと泳いだということはないでしょうね? 途中で船に乗ったのだろうな・・・・)。

 この左馬之助がびわ湖に踏み出した場所が、じつは打出浜なのです。前にお知らせした「渚のテラス」のちょっと手前、今は「琵琶湖文化会館」の建っている辺りが「明智左馬之助 びわ湖渡りのところ」として記憶されている場所です。

 そこには小さな碑が建っています。柳の木に隠れるようにしてありますので、ちょっと見つけにくいかもしれませんが、ここはあまり知られることのない歴史の名所でもあります。