札の辻(ふだのつじ)
先の「大津宿本陣跡」のエントリーで、「大津は北国街道と東海道の合流地点であり」と書きました。この「合流地点」の実際の場所が、左の写真にある「札の辻」です。
「札の辻」とは、もともと江戸幕府の法令を記した制札(高札)がたてられた場所のことです。ですから、「札の辻」という地名は全国各地にのこっています。
大津では、制札が北国街道と東海道が交差する地点にたてられましたので、ここに「札の辻」という地名がのこることになりました。江戸幕府にしてみれば、制札はおおくの人びとに法令を知らしめるものであったわけですから、この北国街道と東海道が交差する地点にたてるのは理に叶ったことだったのでしょう。
じっさい、この地点は江戸時代はとても賑わった場所でした。ふたつの街道が交差する場所ですから、この近くには旅籠がたくさん建ち並んでいました。先に紹介した「大津宿本陣跡」は、この「札の辻」からほんの50メートルほど南に歩いたところにあります。
文化2年(1805年)の「近江名所図絵」には、当時の「札の辻」の様子が描かれています。この図絵を見ますと、ここには宿場の人足や伝馬を調達する人馬会所がおかれて、とても賑わっていた様子が見てとれます。
ところで、この写真、ちょっと汚れていますね。「近江名所図絵」という由緒正しき図版がどうして汚れているかと言いますと、じつはこれ、「札の辻」の交差点の地面に貼り付けられているものをそのまま写真に撮ったからなのです(ですから、ちょっと埃まみれ)。
最初の写真に写っている交差点のどこかにこの「近江名所図絵」が貼り付けられています。大津ジャズフェスティバルに来られたら、オリエンテーリングのように探してみるのも面白いかもしれません。
場所は京阪浜大津駅から京津線にそって南に7、8分ほど歩いた所が「札の辻」ですが、この交差点のどこかにありますよ。でも、よ~く地面を見ていないと、探し当てられないかもしれませんね(^^)。
大津宿本陣跡
大津はむかしから交易の中心地として栄えてきました。びわ湖をつかって北国からの物資が集まってきましたし、東海道も通っていました。今でも、その痕跡が大津の町にはのこっています。
写真は「大津宿本陣跡」です。
ここにある案内板にはこう書かれています。
「本陣とは大名や公家などが宿泊するために設けられた施設で、大津宿では大阪屋嘉右衛門(大塚本陣)、肥前屋九左衛門の2軒の本陣と、播磨屋市右衛門の脇本陣1軒が八丁筋に置かれていました。八丁筋には、旅籠などが多数軒を連ね、旅行く人びとを迎えていました。大津は北国街道と東海道の合流地点であり、また湖上交通の拠点でもあったことから繁栄を極めました。」
現在は遺構などものこっておらず、ただ案内板がかつての街の繁栄を伝えるだけですが、この地に立ってみると、北に湖、南と西に山が迫っていて、たしかにここがかつて交通の要所だったことをしのばせます。
場所は、京阪浜大津から京津線にそって南にくだり、京津線が右折れした先にあります。浜大津駅から徒歩ですと、約10分です。「滋賀労働局」という白い看板が目印です。この看板に隠れるように、それはあります。
この碑を撮影に行った日はうだるような暑さで、ほとんど熱中症状態になりました。今年の残暑はほんとうに、ほ・ん・と・う・に厳しくて、もう怒りを通りこして、「どうにでもしてくれぇ~!」状態になっていますが、でも、ジャズフェスティバルは10月16日、17日ですから、いくらなんでもすでに涼しい風が吹いていることでしょう。
大津宿本陣跡は、商店街からも近くですので、秋の陽を楽しみながら、足をお伸ばしください。
商店街案内
今年の大津ジャズフェスティバルは「JAZZと一緒に街歩き」というキャッチフレーズを掲げているとおり、10月16日(土)はいくつかの商店街に会場をもうけました。このことはすでにこのブログで「会場案内」シリーズとして紹介したとおりです。もう一度、復習しておきましょう。
JR大津駅から左(西)側の通りが、寺町筋ですが、びわ湖までつづくこの筋の両側にあるのが、大津駅前商店街です。この商店街には、興禅寺会場があります。
商店街の衰退と郊外型のショッピングモールの乱立ということが言われてひさしいですが、商店街とショッピングモールには決定的な違いがあります。それは、そこに「生活」があるかどうか、です。(おおくの)商店街には(いまだに)そこで商売をしている人たちの「生活」があります。この営みが、それぞれの商店街にその街「独特の香り」をあたえているように思います。ショッピングモールには、そんな「独特の香り」はないですね。
大津駅前商店街を歩いて、「会場紹介(1)」で紹介した「パーンの笛」の交差点を左(西)に折れると、そこはもう丸屋町商店街です。
この商店街には、次の4つの会場があります。
- 平井酒造前会場
- 曳山展示館前会場
- 大津百町館会場
- 大津中央鍼灸院前会場
この丸屋町商店街を抜けると、京阪京津線の路面電車が走っています。写真には線路が見えますね? そして、この線路を渡ると、そこが菱屋町商店街です。
そして、この商店街にある会場は、次のふたつです。
- ウエノベビー前会場
- 西友前会場
大津駅前商店街、丸屋町商店街、菱屋町商店街、そしてこれから紹介する長等商店街を歩いていると、気がつくことがあります。それは、これらの商店街には、日本全国どこの街角にもある、あるものが見当たらないということです。このことが、これらの商店街の特徴をはっきりと表しています。
何が見当たらないか、判りますか? じつはマクドナルド、ケンタッキー、コンビニ、ドトールコーヒーなどのチェーン店が、これらの商店街にはありません。そこにあるのは、魚屋さん、肉屋さん、雑貨屋さん、文房具店、食堂、喫茶店、うどん屋さん、薬屋さん、酒屋さん、衣料品店、靴屋さん、帽子屋さんなどの、まさに「ここだけにある」「個人の」商店です。それは決して渋谷や梅田のような都会的な街並みではありませんが、だからこそ、伝統的で庶民的な大津の街並みをのこすことになりました。
これは先に書いた「生活」の問題とも関係していますが(マクドナルドの二階にその店の店長夫婦が住んでいるという話は聞いたことがないでしょう?)、これらの商店街は、まさに地付きの人びと(町衆と言えばいいのでしょうか)によって支えられているわけです。だからこそ、その街独特の「香り」を醸し出しているわけですね。
最後に写真紹介した長等商店街には、「Tio」会場があります。
ジャズフェスの会場で音楽を楽しまれたら、それぞれの商店街の「独特の香り」もまたお楽しみください。これが、「JAZZと一緒に街歩き」というキャッチフレーズを掲げた私たちの想いです。
大津事件
大津はふる~い、ふる~い街です。旧石器時代から人が住んでいたような、そんな痕跡があるそうです。約1万年前のことのようで・・・・(「大津市」HPより)。
そこまで遡らなくても、667年に近江大津京が定められたり、現在も瀬田川にかかっている唐橋をめぐって672年には壬申の乱起こったりしました。これは、日本史の教科書で勉強したような・・・・。ま、ようするに、大津という街にはとてもふる~い、ふる~い歴史があるということですね。
ですから、大津の街には、歴史的出来事の跡がいたるところに残っています。ジャズフェスティバルに来られたら、そんな歴史の跡を訪ねてみるのもいいかもしれません。
ということで、今回、ご紹介するのは、大津事件。
大津事件はご存じですか? 大津事件とは、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した、暗殺未遂事件です(「Wikipedia」より)。この暗殺未遂事件(と書くと、とても物々しいですが)の現場は、ジャズフェスティバルの会場のすぐ近くにあります。
写真をご覧ください。まさにここが大津事件の現場です。石碑にはこう書かれています、「此附近露国皇太子遭難之地」。写真に見られるように、傍らには大津事件についての解説プレートが設置されています。
この石碑が建っているのは、(JR大津駅を起点にすると)これまで何度も紹介してきました寺町筋を湖の方にくだり、京町二丁目南の信号(JR大津駅から歩くと二番目の信号)を右(東)に曲がるとすぐ、最初の交差点です。
JR大津駅からゆっくり歩いても10分足らず、京阪浜大津駅からも10分足らずです。
おしゃべりなんかをしながら歩いていると、ふと見過ごしてしまうくらいに、ひっそりと、何気なく、この石碑はあります。
ジャズフェスティバルにいらっしゃったら、ぜひ大津の歴史の痕跡を探してみてください。楽しい「JAZZと一緒に街歩き」になるはずです。